マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』

アメリカのメンタルヘルスマネジメント
今回は2019年の初めにダイヤモンドオンラインに掲載された「東大で史上一番売れた本」のランキングで1位となった、大変読み応えのある本、ハーバード大学で「正義」というテーマで政治哲学の講義をしているマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう~いまを生き延びるための哲学』早川書房を取り上げます。
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この本はハーバード大学のマイケル・サンデルが約30年に亘って政治哲学の講義をした中で深まっていった「正義」に関する書物です。英語でアメリカの文化を背景に考察され議論されてきた考えです。
この本には正義の議論で繰り返される三つの理念に「幸福の最大化」「自由の尊重」「美徳の促進」が出てきます。
哲学は考える学問です。考えるツールとしての言語と、その言語が生成された文化に大きく影響を受ける学問でもあると思っています。
私事ではありますが、先日ニューヨークへ行くチャンスがあり、自由の女神像の立つリバティ島とかつて移民局があったエリス島へ観光をしました。その際、入植者たちがアメリカを聖書の「マタイによる福音書」にある理想社会「丘の上にある町」を建設する地であると信じ、豊かになることは神の祝福を受けることであるという考えが「アメリカンドリーム」を支えていたということを知りました。
先に挙げた理念の一つである「幸福の最大化」は現代のアメリカ人の先祖たちが欧州での暮らしを捨て、「理想社会の建設」に携わるのは自分たちであるという選民意識と共にアメリカに渡り、一生懸命働いた報いとして神の祝福である「富」を手にする権利がある、という考え方をベースにしていることを知る必要があると感じました。
では、哲学=考えるとはどういうことでしょうか?
物心がつく頃、私たちは自分が存在していることを認識するといわれています。環境としての家族と自分を別の存在として認識するということですが、私は赤ん坊でもその認識はできていると考えています。ただ、自分と他者の間に発生する葛藤の処理を年長者に大きく依存しているために、あまり他者との差異を意識する場面が少ないだけではないかと考えます。
つい横道にそれてしまいましたので戻ります。
思春期の頃には学校で自分のポジションを認識します。
やがていつか自分が子ども及び学生であるという立場を失い、社会に社会人として出ることを意識しながら、どんな自分になりたいのかを決めるよう促されます。
これが「考える」事始めかもしれません。
もしかしたら、どんな自分になりたいのかなどという問い以前に、自分が何者なのかもわからない思春期の若者にとっては、友だち、あるいは好きな人にどう思われるかということの方が考える事始めなのかもしれませんが。
修辞学~議論の作法
自分なりの考えを持つようになると、親や先生など大人と衝突することもあります。いわゆる反抗期ということでしょうか。
うまく自分の考えを言葉にできないまま、「世の中とはそういうものだ」と大人に言いくるめられて憤りを忘れてしまうこともあるでしょう。
修辞学という議論や弁論を学ぶ学問があります。ディベートなどもその一つです。成熟した議論は「言い負かす」とか「説得する」というゴールを目指さないのをご存知でしょうか。
目指すのはビジネスと同じウィン‐ウィンの関係、双方が納得のいくソリューションです。違う意見を持った者同士がお互いにとって納得のいく着地点とはどこなのかを論理的に探るための手段として、議論をするということなのだそうです。
「議論の作法」とでもいえばいいでしょうか。ビジネスでもゼロサムゲームになれば双方が利権や利益を奪い合う争いになり、終わりのない報復合戦になってしまいます。
議論の作法の中には結論の出ない議題を論じないというものも含まれます。結論が出ない議題とは「価値観に関すること」なのだそうです。
つまり、この本で論じられる「正義」や「理念」がそれにあたります。
なぜ結論が出ないのかを端的にいうと、価値観は論理的ではないからです。個人の好き嫌いや快不快といった信念や思込みに分類されるため、双方が納得のいく結論やソリューションを導くことが不可能であるというわけです。
心理学~精神が壊れる時
私の専門領域はマネジメント心理学です。精神的な病を扱う臨床心理ではなく、ビジネスマネジメントに必要な心理学を専攻しています。
そのため、書評に関してはビジネスマネジメントと心理学的なアプローチをしています。具体的には産業カウンセリングやキャリアコンサルティング、組織行動論、社会心理学などです。どちらかというと、精神的に健康な人たちの心理を取り扱います。
しかし、組織で働いている個人はストレスにさらされてメンタルヘルスを壊してしまうこともあります。そういったときに、精神が壊れるとはどういうことかという理論的な理解が必要となります。
なぜここで心理学の話をしているかというと、先の価値観がメンタルヘルスと大きくかかわっているからです。
反抗期に自分なりの考えを持つようになり、周囲の大人たちと相いれなくなると若者は悩みを抱えるようになります。
同じように、自分の価値観と自分の属する組織が違う価値観を持っている場合、個人は組織の中で葛藤を抱えることになり、それが処理しきれない場合は精神のバランスを崩し始めます。
もう少し詳しく描写します。「自分は○○が得意で他の人たちと比べてその点において組織での存在価値がある」と自負している個人がいたとしましょう。ところが不景気など何らかの理由で所属する組織自体が変わらざるを得なくなり、必要とされる人材や能力が変わってしまったとしましょう。その場合、得意でないことでその組織での存在価値を感じなければならないという、その人にとっての自己の存在価値の危機が訪れるわけです。自己の存在価値とはアイデンティティーのことです。「私は○○です」というのがアイデンティティーです。
たいていの心理学の理論の中では、何らかの理由により現実と価値観に齟齬が生じ、自己価値が低くなったと感じる、あるいはそれを無理やり避けようとすることによって、胃潰瘍などの身体症状、うつ病や摂食障害などの精神症状などを起きると理解されています。
さて、ここで元の話に戻りましょう。
アメリカ人にとって、自分たちは神に選ばれた民であり、理想社会の建設に携わって努力した結果としての富、つまり神の祝福としての富を得る権利がある、よって「幸福の最大化」に富の最大化が含まれるという理念を覆されることは、アイデンティティーの危機であるといっても過言ではないのかと感じたのです。
議論しても結論が出ない価値観を、それでも論じる必要が出てきたのは、アメリカ人自身がその理屈では無視できない現実とのずれを認識し始めたということではないかと推測するのは邪推でしょうか。
経営学~ステークホルダー
経営学で特に最近はステークホルダーを考慮することが、企業が生き残るために必要不可欠な視点であるといわれています。
ステークホルダーとは利害関係者のことです。顧客、従業員、債権者、株主、仕入先、得意先、地域社会、行政機関などのことを言います。
製造業なら、工場があるなどで村ひとつがひとつの企業の関係者で占められているようなケースもあります。そういった場合は特に、従業員が顧客であり、株主や債権者であり、地域社会であるということが起こり得るわけです。さらにはその家族が仕入先や得意先で、行政機関であるということさえあるでしょう。
グローバル経済が浸透してくると、関係者でない人という存在がほぼゼロになってくると考えてよいのかもしれません。
ヨットで大西洋を渡ってスウェーデンからニューヨークへ行ったグレタ・トゥーンベリさんのおかげで注目された国連本部で行われた「気候行動サミット」はまさにこのステークホルダーのグローバル化を象徴しているのではないでしょうか。現代はどこかの国の工場や経済活動で排出されたCo2が地球規模で利害を及ぼす時代と捉えられるのかもしれません。
本書で示されたような、功利主義的、自由主義的、道徳的のいずれの角度から考えても、利害を共有する世界中の人々の幸福を目指す必要に迫られていると考えてもいいのかもしれません。
ここで、最大の難問が立ちはだかります。
幸福とは何かという定義がされないことです。
総合科学~大事なことは何なのか
ここまでいろんな学問を見出しに配して書いてきたのには意味があります。
学問も学問の専門性の壁を越え、総合的に捉える必要性が高まってきました。ある問題を解決に導くために、ひとつの専門的な学問の知識だけではなく幅広く知恵を寄せ集めて解決する時代に入っています。
総合科学という分野は比較的新しい学問ですが、問いを持ちそれについていろいろな学問を駆使して解を導くのだそうです。
分野としては新しくはありますが、中身は新しいものではなく、昔から先人たちが蓄積してきた知恵を組み合わせたりしながら、現代の私たちが直面している問題に対するソリューションを創出したり理論を組み立てたりするものです。
本書でもこの「正義」をめぐる論争という問題には結論が出ないとはしながらも、過去の偉人の言葉から引用してひとつの方向を示しています。それが何なのかは「ネタバレ」になってしまうのでここでの明言は控えますが、幸福とは何かという問いに答えることでもあると書いて、この書評を締めくくりたいと思います。
そして、方向が何なのか知りたい方はぜひこの本を読んでみてください。
この書評は、元の掲載先から許可を得てこちらで再掲載しています。